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審査員講評
大林宣彦 映画作家 「TVF2007年と、その未来。」
 《Plays the air.》、今年はこの一作が突出している。否、今年を越えて、この二十分の小さなヴィデオ作品は、明日のすぐれた映像による表現世界を、確実に手操り寄せている。そしてそれはまた、今年のフェスティバルの大きな特色でもあった。作者は二十三才の女性。もしこの人が将来もこうした作品作りを続けていかれるなら、内田セイコの名は間違い無く、未来の映像世界を代表する一人として記憶されていく子とになるだろう。我我は一つの才能と出合った。祝、TVFである。祝、ヴィデオである。
 今年は不思議な、面白い出来事が色色あった。春には福井県のある中学校の生徒二百人余りが、修学旅行で上京し、一夜ぼくのヴィデオ作品作りについての講義を聞くという。修学旅行といえば枕投げだろう、と考えるのは過去の話らしい。昼、東京着。お台場見学を了えてホテルに入ると、入浴・食事。それからぼくの講義が一時間半。それで持つのかという心配を他所に、皆熱心で瞳はらんらん。続く質疑応答は二時間にも及んだ。聞けばこの中学では作文や図工同様、生徒が全員グループに分かれてヴィデオ制作。互いの自己表現が良き対話となって落ちこぼれる子もいなく、明るく元気溌剌。旅行の翌日は東京大学の学生とヴィデオ作品交換会。浅草を見学して帰省というスケジュール。
 つい先日はぼくが務める大学で全国高校生ヴィデオフェスティバルを開催したが、この応募作品がまた凄い。かつての様に、将来映像の世界に進もうという子供たちではなく、また映像を趣味とするのでもなく、まるで日記か日常のリポートの様にヴィデオ作品を作る。今回の高校生作品《漢字テストのふしぎ》もそうだが、つまりそれはヴィデオによるオンリーワンのジャーナリズムであり、彼等が個人的対話の魅力を活かすことでこの日本の情報社会の欠落部分を、補って余りある豊かさ。それが嬉しくて現在、ぼくは三つの大学で教鞭を採っているが、今回の《Plays the air.》のような作品は、ほんの少し突出してはいるが、最早彼等の創作のレベルを成しているのである。
 TVFはそういう時代を受けて、内田セイコを選んだ。そうしてその反面、永い間の常連、池田稔の《下駄 靴 草履》を外した。池田さんのこの作品はTVF二十九年のHistory が生み出し得た、もう一つの傑作である。同じく常連佐藤均さんと共に、その名はまたTVF史に、この遺産として深く刻まれることであろう。そしてTVFのシムボルでもあったジョン・アルパートの名と作品も、今回は外されることで意味を持った。それが《Plays the air.》今年の、新しい存在理由であり、永い伝統が生み出した優れた文学作品にも喩えられる、大きな成果でもある。
小林はくどう ビデオ作家 成安造形大学教授 「映像作家の登竜門となったTVF」
 最終審査会では、アルゼンチンのジャーナリズム作品と日本のドラマ作品などがグランプリ候補となり、果てしない論議の末、大岡裁きの判断で3作品がグランプリとなった。価値観が違うのだから、いくつも頂きがあっていいのではないかと満足した。
 30年前TVFを立ち上げる際、ビデオは《コンクール》ではなく、《フェスティバル》だという発想に先見の明があった。私は3ヶ月ほどかけて審査を続けているが、今回応募作品が増加したこともあり、審査も物理的時間の限界に近づいている。日本 VICTOR にオンブしないで,TVFが自立する方法はないだろうか。参加国50、ユネスコからも応募と国連が主催すべき内容となっている。次回は横浜市の後援を得られるかもしれないという話は興味深い。受賞作を社会へどう貢献するかが課題なのだ。
 アジアではTVFがいつの間にか映像作家への登竜門になって来ていると聞く。ドラマやジャーナリズム、アニメーションの作品が増えているのもその現れだろう。ヨーロッパ勢が下降ぎみなのに対し、アジア、特に中国はたくさん応募があり、日本を抜いてダントツの1位となった。中国は市民が自由にもの言える「市民ビデオ」が縁遠い国だと思っていたら、急速な家庭用Video cameraの普及であっという間に表現が一見盛んになった印象があるが、大半が学生作品である。国は映像教育に力を入れているようだ。在日の中国留学生たちが5年前から始めたインターネットTV局「東京視点」の『スマイルって0円?』はアルバイトで体感した日本人の微笑についての好意的な日本文化論である。
 日本もプロ志向の若者や一般大学などが増えた。メディア系の学科や科目が増え、メディア・リテラシーを学び、ビデオ制作する人たちが増大している。こうした教育機関ではTVFの受賞作品が盛んに見られていると聞く。高校放送部の『漢字テストのふしぎ』は受験戦争に喘ぐ高校生の立場から教育の矛盾を指摘したジャーナリズムである。あっぱれな作品であり、日本に充満している教育の閉塞感を打ち破るものだと確信する。
世界中からドラマ作品が年々増えているが、優秀賞には入りにくい。類型では駄目なのだ。日本の『Plays the air.』は映画や TV Set とは違った普段着映像を基本として計算し尽くしたデリケートなカメラワークと演出の《ドラマ》である。TVFは才能ある人を育てたいと願うのみである。
佐藤博昭 ビデオ作家 日本工学院専門学校教員 「批評の言葉を失う時に次の予感がやってくる」
 何かに取り憑かれたように作品を見ていた。最終審査会までの10日間に集中して、最後の判断をしようと思っていたからだ。しかし、例年と様子が違ったのは、見終わった後に言葉を失ったことだ。結果的に僕は、特に推薦したいビデオ大賞の候補を選出することが出来なかった。言うまでもなく作品がダメだったからではない。どれかの作品を推すことが、ひどく後ろめたい気がしていた。
 まずは短編ドラマの水準の高さに驚いた。『Passenger』や『Three Novice』『お願い。誰か』のゆったりとした映画的な時間が嬉しかった。エントリー作品の後半では、中国のドキュメンタリーと韓国のドラマが次々と現れ、それぞれの時流の現在を映像で掴むことが出来た。ドキュメンタリーも相変わらず力強い。『Fear no evil』の着眼点が、イスラム問題の側面をえぐっているように思う。16歳の彼らにもう少し希望があっても良いではないか。『学校を辞めます』は教師として他人事ではない。教育基本法の改正へと続く一連の教員バッシングは、恐らくこうした現場教師の良心を奪っていったのだ。『Baghdad ER』で現れる現実をアメリカ政府に正当化して欲しい。政治家は失脚して野球でも見ていればいいが、死ぬのは常に若い兵士なのだ。しかし、このビデオを見るアメリカ人が加速してイラク人を憎悪する可能性も高い。『帰還日』は政治の無策が最悪の結果を残した証拠だ。最後に希望を失う場面を見るのは辛い。ドキュメンタリーに描かれた人物に心を動かされる時、映像作品の出来ばえを第一の問題にすることが難しい。例えば『いのち輝く時〜』や『梅香』を見ると音楽の存在が憎らしいとさえ思う。どうして現場音だけで構成してくれないのか?と。しかしそのことは描かれた人物とは無縁なのだ。だからこそ、映像の制作者には大きな責任がある。
 『空飛ぶ円盤と私の友達』や『新しい理論』のような作品ばかり見ていられたらどんなに幸せだろうと思う。『家族』『The Baby-trees』『Black no sugar』が示した1分間の可能性と作者の若さも見逃せない。今年もまた新しい作者に出会うことが出来た。僅かな希望は次の予感と共に、いつも作者が届けてくれる。
椎名誠 作家 「鋭く表現された、停滞といらだち」
 この審査員をやらせてもらっていつのまにか十年以上たつので驚いている。正直に書くと最初の頃は覗き見、野次馬気分であった。しかし回を重ねるにつれて、このフェスティバルに寄せられる膨大な作品群のすべてが、まきれもなくまっさらな「今の時代」そのものであり、世界の「今の視点」であることを知り、その深さと広さにおののきのようなものを感じるようになった。 以来審査員という立場でそのことのきわめて重い恩恵と責任を感じるようになり、個々の映像にのめり込んでいる自分を知った。
 さて今回の作品群であるが、最初の頃に比べると日本をはじめ世界各国からの応募作品に鋭い視点とクオリティの高さが明確になり、力のあるメッセージ性の強い作品が豊富になっているのを感じた。ついに映像表現の自由でパーソナルなものが蓄積を重ねて噴出力を得てきたのだろう。
 私はこのフェスティバルに参集してくる作品群が次第に明確に大きくふたつの系統に分かれてきており、それぞれが精度と発信力を高めているように感じ心強く思った。
第一の系統は「自己内面の追求」であり、第二の系統は「ジャーナル」である。
これらは、ドキュメンタリ、ドラマ、ポエジー、アニメ等の表現ジャンルを越えてかなり明確に分離されてきており、私にはわかりやすかった。ふたつの系統は、しかし、結果的に同一のものをモチーフとテーマにしている。
 今回問われているものの多くは、時代をストレートに反映した「停滞といらだち」であった。それは、戦争を中核とした国家や民族の紛争であり、環境問題であり、人生のスパイラルであり、いきとし生けるものへのやるせない憧景・・・・など多方面に分化している。今回の作品群の中にそれらは「今」としてきっぱり記録されており、まぎれもなく次の時代に向けた大きな「力」になっていくのだーということを痛感した。
高畑勳 アニメーション映画監督 「見て活用してもらいたい」
 毎年、選考に戸惑う。優秀作品賞を逸したあれこれの作品について、どうして選に洩れたのか、と詰問されたら立ち往生せざるをえないだろう。それほど意義深く、多くの人に見てもらいたい、活用してもらいたい佳作が多い。たとえば「共働き」など。海外から応募してくる国も増えて、中国の「梅香」「最後の水」のように、個人規模の優れた映像記録が世界に拡がりつつあることが嬉しい。「カイツブリ」「どぶねずみ」「くねの木エレジー」的な作品が海外から寄せられることも期待したい。
 ビデオ大賞の三本はいずれも、撮り方の新鮮さが高い評価の要因になったと思う。昨年の「羽包む」にも似て、作者と対象との間で心を許した関係があってはじめて引き出せた面白さであり、こわさだ。「漢字テストのふしぎ」については講評にゆずるが、「先生、IT時代の漢字テスト、考えてください」という切実な声に応え、教育界は具体的解決を図るべきだと思う。「Plays the air.」はカメラを感じさせない日常記録のように若い女性が撮れているところがすごい。ただ、共感はしにくかった。「Fear no Evil」もまた、日常の中で自然に本音を語らせ、16歳のムスリムたちの追いつめられた心情を捉えて深刻。
 アニメーション。「有機都市」は不思議な光景としての面白さ。人間が普通に暮らしている片隅でこういうことをやろうとすれば、面白い物語が紡ぎ出せるかも。「いずこ」はとくに主人公の顔の表現に感心。お話もよく、簡素な表現で多くを語れることを示した。「ミミズ」は専門家の仕事。ただの擬人物語ではなく、ミミズの父子ならばこうもあろうかというリアリティがあった。「自転車日記」の絵も使い方も新鮮。佳作の「疲れた町」「何処かに」の表現水準も高い。
羽仁進 映画監督 「全く新しいインタビュー」
 自分の内面の世界を、映像という他人にも伝えられる表現の手法に、巧みに移しかえた天才的な作品は、今年はなかった。
 しかし、別の分野で、新鮮な驚きと、感銘をあたえられる作品が、幾つかあった。それは、全く新しいインタビューの方法による映像、である。
 「漢字テストのふしぎ」は長野県の高校生達の作品である。こんな問題では、一般の TV Set でも取り上げられたことがあるだろうが、この作品は全くそれらと違う素晴らしい傑作であった。その成功の最大の秘密は、インタビューの独自さにあったと、私は想像している。
 文科省から、県の教育委員会、様々な現場の教育者と、いろいろな先生が出てきて、取材の努力にも敬服する。一番驚いたのは、その「先生」達が、実に人間的に語っていることである。失礼ながら、困りはてる方も居られるし、ヒステリックとお見うけされる方も居る。「もし裁判になったら、どうなるかねぇ」「先生としてはねぇ、多くの子供達に、高校に入ってもらいたいという気持ちもあるんだよ」それぞれのお答えぶりを批評する前に、その御一人、御一人の、人間としての行き方に、思わず(笑いながらも)感動してしまう。実はこの作品は、漢字テストから入って、日本の教育の一面を、写し出しているのだ。賢く、しかもやさしいインタビューを通してその姿が鮮明に浮かび上がってくるのだ。
Fear no Evil(わざわいを恐れるな)
アルゼンチンの映画グループの傑作です。 テロというものが、一部の人々だけでなく、街中を破壊して射ちあっている土地の少年少女の多くの中で生きていることを、さりげない日常性の中で鮮明にとらえて、私達の心を突き刺す。マス・メディアの TV Set では、ついに使いこなせなかったことの多いインタビューが、ビデオの世界でこうまで開花したのは、驚きだった。
北見雅則 Japan Victor Co., Ltd. 「可能性を信じて」
 総数3600本弱のボリュームは、まさにTVF史上最大である。皆様に感謝します。
 特に、1600本もの作品を応募してくれた中国の皆様に、感謝の気持ちを伝えたい。量のみならず、その質も高いものが多かった。市民ビデオの名にふさわしい社会の捉え方や、表現の仕方に、多くの方が感動されることだと思う。
 「梅香」(Qinglin Shen)と「最后的水」(Weike Jin)は大いに私の胸を打った。山奥で二人の子供に教える21才梅香のひたむきさに心をうたれた。干魃に襲われた重慶で懸命に生きていく母子。高速道路の脇に投げ捨てられたペットボトルに残された水を集める少年からは生きることの厳しさを教えられる。
 「Shall We Sing?」(Reina Higashitani)は、海外駐在をする人々に大きな影響を与えてくれるだろう。流されがちな貴重な時間を企業の枠を越えた仲間たちとともに男性合唱を通じて、地域との交流を培う。是非多くの海外生活者に観て頂きたい作品である。
 「いのち輝くとき」(江口友起)、自分の使命を思い出した青年医師が、ミャンマーで医療活動に当たっている。「人の役に立ちたいという人間の根源的欲求、自分自身の可能性を信じる」を言う吉岡医師の言葉の重みが心に響く。
 TVF2007に集まった作品は、数の大きさがビデオ文化の裾野の拡大を表した。
 また、一方で参加者の低年齢化が一層進んだ。驚くことに、10代・20代の作品が、全体の60%を占めるに至った。自分達が身近なテーマを自分の視点で真剣に見つめて、自由に、思いどおりに表現していく。TVFが目指してきた「市民ビデオ」の真骨頂がいよいよ完成されてきたのではないだろうか。
 今年は横浜市の後援を得て、横浜の地での開催となった。この機会を得て、地域社会の中のビデオや、教育に関わるビデオなど、多くの連携が実現できる可能性が生まれる。そうした多くの可能性が、「市民ビデオ」をより大きく育てていくことと信じている。
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